西宮敬愛会病院 低侵襲治療部門 消化器外科部長の三賀森学です。手術にまつわるトピックを定期的にコラムとしてあげていきたいと思います。
今回は、外科医がどのように鼠径ヘルニア手術を習得していくのかという点について、いくつかの資料とともにご紹介します。
鼠径ヘルニア(脱腸)は、簡単に表すと「足の付け根が膨らんだり、押すと膨らみが引っ込んだりする」「長い時間立っていると足の付け根が膨らみ、寝た状態だとわかりにくくなる」病気です。この病気はどの科が担当するのでしょうか?
鼠径ヘルニアは症状のある部位から泌尿器科を受診されることがありますが、泌尿器科で手術をすることはなく「外科」が手術を行います。
なお、「外科」という科は実際には細分化されていて、「消化器外科」「心臓血管外科」「呼吸器外科」「乳腺内分泌外科」「小児外科」のように分かれています。また、「消化器外科」の中でも、胃や食道の手術を行う「胃・食道グループ」、大腸や直腸などの下部消化管を扱う「大腸グループ」、肝臓・胆道・膵臓などを扱う「肝胆膵グループ」に専門を細分化していることが多いです。消化器外科医が少ない病院ではこの垣根を越えて様々な手術を行いますが、大学病院やがんセンターなどの大きな病院では細分化された疾患の手術に特化して行います。
鼠径ヘルニアの手術は「外科」の中でも多くの場合、担当は「消化器外科」が行います。しかし、さきほど解説した消化器外科のグループ内に「鼠径ヘルニアグループ」はたいていありませんので、胃の先生や大腸の先生などがみんなで持ち回りで担当を行ったりすることが多いです。総合病院では、外科の修練を行うレジデント(修練医)がいることが多く、レジデントと指導医が二人一組で手術を行います。
鼠径ヘルニア手術は年間約15万人の方が手術治療を受けており、日本でもっとも施行例の多い外科手術となっています。そのため、研修中のレジデントの期間にこの手術を学び、自身が指導医となったらまた後輩のレジデントに指導していきます。
近年では、鼠径ヘルニア手術も腹腔鏡手術が半分以上を占めるようになり、TAPP法(お腹の中から治療する方法)やTEP法(腹壁の間から治療する方法)などさまざまな術式が増えてきました。そのため、レジデントの期間に教えてもらった指導医の術式が自身の行う術式になることが多くなります。海外では腹腔鏡下手術の内訳はTEP法が多いのですが、日本ではTAPP法が多くなっています。これは日本で鼠径ヘルニアの腹腔鏡手術を取り入れられたパイオニアの先生方の術式がTAPP法であったため、現在主流になっているのかもしれません。
癌の手術を行う大きな総合病院では、各グループの消化器外科医は胃がんや食道がん、大腸がん、肝臓がんや膵臓がんなどの手術を中心に行います。鼠径ヘルニア手術や胆のう摘出術が短時間枠として行われますが、週1―2日程度であるため多くの症例の手術ができずに待機時間が発生しています。また、そのような状況であるため、各グループ持ち回りで鼠径ヘルニア手術を担当していると、各指導医の担当は月に数例ということにもなります。特に都市部ではこの傾向は顕著だと思います。
では、鼠径ヘルニア手術が一人前と言えるためにはどのくらいの経験が必要なのでしょうか?
2024年に発刊された鼠径部ヘルニア診療ガイドライン2024(第2版)のCQ20-2に「鼠径部切開法および腹腔鏡下ヘルニア修復術のlearning curveはどれくらいか?」と挙げられています。解説には、「各論文の結果よりTAPP法では、手術時間のラーニングカーブは14-65例、合併症は40-50例、再発は40例で安定」とされています。「TEP法では、手術時間は13-80例、再発は30-40例とありますが、長いものでは450例で手術時間と術後合併症が安定化した」という報告もあります。
最近の論文をいくつか検索してみました。
2023年にSurgical Endoscopy誌 (Surg Endosc 37(4):2453-2475)より報告された「Learning curve of laparoscopic inguinal hernia repair: systematic review, meta-analysis, and meta-regression」はシステマティックレビュー(学術文献を系統的に検索・収集して、類似する内容の研究を一定の基準で選択・評価する研究)での報告です。22の研究を評価し、術後合併症を減すことができる手術熟練度を達成するには32.5例が必要であるとされています。
また、TAPP法については、Surgical Endoscopy誌 (Surg Endosc 37(4):2826-2832)より報告された「Laparoscopic inguinal hernia repair: impact of surgical time in the learning curve」では、1282例の検討で、手術時間の有意な短縮を達成するために外科医1人当たり61例が必要となるとされています。
当院でもよく行う単孔式TEP(SILS-TEP)法についての報告も検討しました。
2022年にHernia誌(Hernia 26(3):959-966, 2022)より報告された、「Learning curve of single-incision laparoscopic totally extraperitoneal repair (SILTEP) for inguinal hernia」では、手術時間と術後合併症などを克服するには約60例が必要で、手術時間の安定したSILS-TEP法を約85例行えばさらに熟練が得られるとされています。
2022年のLangenbeck’s Archives of Surgery誌(Langenbecks Arch Surg 407(7):3101-3106, 2022)の「Learning curve analysis using the cumulative summation method for totally extraperitoneal repair of the inguinal hernia」では、手術成績の改善のために初期学習期間には約100症例が必要であり、さらなる経験の蓄積には加えて103症例が必要であり、203例のTEP法を実施すれば十分な適性が得られるとされています。
最後の論文は、個人的にはとても共感が得られます。安定した手術時間だけであれば確かに50-100例でよいのですが、少し困難な症例や剥離層の細かなこだわりを実現するためにはさらに100例は必要かと実体験では感じています。
さて、上記のような本邦の外科医のキャリア形成において、鼠径ヘルニア手術で指導医はラーニングカーブのゴールを達成する症例数を経験してからレジデントにきちんと指導できているのでしょうか? おそらく十分な症例数を経験した指導医と経験していない指導医が混在しているというのが答えだと思います。
当院では外科医2名が手術を担当しますが、私も大塚Drも上記の習得必要症例数は十分に超えています。それでもさらに良い手術を行うために、北海道や名古屋の著名な先生方の手術見学に行きました。研究会のビデオ動画なども定期的に確認しています。
また、日々の手術の中に小さな工夫や改善はいくつもあります。準備する糸の長さを数センチ変えるだけでも手術の流れがスムーズになりますし、メッシュの展開方法など細かな改善を日々行っています。
当院では、腹腔鏡手術においてTEP法もTAPP法も行っています。両術式を行うことで剥離層の違いなどの理解も深まり、より丁寧な手術操作が可能になっています。
鼠径ヘルニア手術をお考えの方は、決まった外科医が多くの手術を行っている専門の病院をお選びください。
文責/医療監修 西宮敬愛会病院 低侵襲治療部門 消化器外科部長 三賀森 学