西宮敬愛会病院 低侵襲治療部門 COKUでは鼠径ヘルニア(脱腸)に対する手術を腹腔鏡を中心に日帰りもしくは短期入院で治療を行っています。私たちの普段の鼠径ヘルニアの診療では、他の疾患の可能性がないか注意深く診察や検査で確認し、診断がつけば鼠径ヘルニアの程度による術式の選択、既存の病気による手術のリスクや術後経過の予想などをお伝えします。その際に患者さんが疾患について不安に思っていることに対する質問に答えて、十分に理解したうえで治療をうけていただけるようにします。
例えば鼠径ヘルニアの診察時には、患者さんから次のような質問を受けます。
「鼠径ヘルニアってどうしてなるんですか?」
「左と右どっちが多いんですか?私のヘルニアって大きい方ですか?」
「片方が鼠径ヘルニアになったらもう片方もなるんですか?」
「鼠径ヘルニアは日帰り手術で本当に大丈夫ですか?」
これらの質問に対して、われわれがどのように情報を準備しているかご存じでしょうか?お伝えする具体的な数値や傾向は自身で様々なツールを用いて得た知識を整理してお伝えしています。
今回は、先ほどの質問に答えるためにどのような方法で調べているかを答えとともにお示しします。
「お腹の底の組織が弱くなって外に出てしまうことで起こります。特に男性では精巣につながる組織の通り道の組織が弱く原因になります。」
このような基礎的な内容は、医学書や医学雑誌を用いて知識を確認していきます。解剖学的な組織の正確な名称も記載しており、学会や研究会では内側臍ヒダとか腹膜前筋膜、APRS(Attenuated posterior rectus sheath)とか専門用語を使い発表や情報交換を行います。
鼠径ヘルニア手術は、シンプルに言うと穴をふさいで治す手術なのですが、様々な膜構造を理解して正しい剥離層でアプローチすることで痛みの軽減などの結果につながるため、研究会などで情報を共有して勉強します。腹腔鏡手術が普及してからは手術動画を共有することも簡単になったため、手術の理解がしやすくなっています。
また医学雑誌は特集として細かな分野がピックアップされていることもあり、知識を深めるのに役立ちます。「特殊な鼠径ヘルニアの治療」とか「腹腔鏡下鼠径ヘルニア手術のピット&フォール」などすぐに役立つ具体的な知識が得られます。学会に行くと医学書コーナーが併設されていることが多く、1-2冊買って帰ります。
「左右どちらもなることはありますが、全体では右の方が多いです。〇〇さんの鼠径ヘルニアのタイプは外鼠径ヘルニアで中くらいの大きさなので、日本では一番多く手術がされているタイプですね。」
このような最新の統計は意外と情報を得るのに苦労します。リアルタイムに全ての病院が手術情報を共有できて、それがまとめられているわけではないからです。また専門医制度を作るにあたっては、各医師の経験症例数などを正確に把握する必要もあるのですが、それらを解決するために日本では2010年に専門医制度を支える手術症例データベースとして多くの学会が参画して一般社団法人NCD(National Clinical Database)が設立され、2011年から症例登録が開始されました。2018年には鼠径ヘルニア手術のデータベースも抽出可能となり、さらに2021年5月からは鼠径ヘルニアのタイプや術式などの詳細な登録が開始されました。その報告を見ることで実際に治療された鼠径ヘルニアの詳細を調べることができます。また内視鏡外科学科でも同様に治療のアンケート結果があり、再発率などの情報を調べることができます。
日本ヘルニア学会症例登録委員の宮崎先生が2024年に日本ヘルニア学会雑誌から報告された、「National Clinical Databaseにおける鼠径部ヘルニア手術~Annual Report2021~」では、109072例の鼠径部ヘルニア手術症例数が全施設で登録され、このうち35619例はヘルニア登録施設で手術が行われ詳細な情報で解析がなされています。先ほどの質問に対する答えとして、このレポートで報告された結果では鼠径ヘルニア30384例中、右側が14534例(48%)、左側が11476例(38%)、両側が4374例(14%)と右側が多いことがわかります。また初発の鼠径ヘルニア分類ではL2(外鼠径ヘルニアのうち大きさで分類した1~3のうちの2)が41%と最も多いことがわかります。
海外のデータもありますが、体格や生活習慣が違うため日本の統計のデータでお伝えするのが最もよいかと思います。
当院もNCDによる症例登録データベース事業に参加しております。本事業は、日本全国の手術・治療に関する情報登録を行い、医療の質の向上と、適切な医療水準の維持に寄与することで、皆様に最善の治療を提供することを目指す取り組みです。こちらは患者様の自由な意志に基づくものですので、情報提供の拒否も可能です。ご不明点があればお問い合わせください。(リンクはこちら)
「対側の発生率はおおよそ1-2割です。8割くらいの方はならないので膨らみのない方に予防的な手術というのは一般的に勧められていません」
先ほどの日本のデータベースには対側発生の項目は入っていませんので、そのような場合は、海外からの報告をもとに発生率を検討する必要があります。
対側発生に関しては、2024年に以下のような論文が報告されています。
2024年にSurgical Endoscopy誌(Vissers S et.al Surg Endosc. 2024 Sep;38(9):4831-4838.)からは「Incidence of contralateral metachronous inguinal hernia on long term follow-up after unilateral inguinal hernia repair: a systematic review and meta-analysis」というメタアナリシス(複数の論文の結果を解析したもの)が報告されています。19の論文(計277288人)が対象となったメタ解析では、3年後、5年後の10年後の対側発生率は5.2%、8.0%、17.1%でありました。
また、2024年にHernia 誌(Yu H et.al Hernia 2024(5):1925-1934 )からは「Preoperative CT findings predict the development of metachronous contralateral inguinal hernia after unilateral inguinal hernia repair: a single-center retrospective cohort study」という報告がされています。
片側鼠径ヘルニア手術を受けた40歳以上の男性患者677人に5年以上の追跡を行った結果、162人が対側発生を認めその割合は23.9%でありました。前立腺術後や腹膜透析、原発性左側鼠径ヘルニア、内鼠径ヘルニア、大腿ヘルニア、パンタロンヘルニア(内鼠径ヘルニアと外鼠径ヘルニアの併存)といった臨床的特徴に加えて、術前CTでの精索脂肪の非対称性と横筋筋膜の脆弱性は対側発生の予測因子であったとされています。この結果は術前のCTも今後予測因子として検討できるとことが示唆されます。
これらの結果より、対側発生の可能性はおおよそ1-2割とお話しています。当院では術前の腹臥位CTも行っているため対側の診断も併せてお伝えしています。腹臥位CTについてはこちらを参考にしてください。
このように調べたいことや興味のある分野に関しては医学雑誌の検索をよく行います。しかし、医学論文の数は非常に多いため、掲載雑誌の信頼度や研究の方法など様々な情報を元に情報の選定を行います。病院内では、興味深い論文知識の共有を行うために抄読会といって持ち回りで論文を紹介する勉強会が開かれたりもしています。
論文を調べていると面白い発表を見つけることがあります。
2017年のHernia誌(Haskins IN wt.al. Hernia 2017 (4):495-503)では「Is there an association between surgeon hat type and 30-day wound events following ventral hernia repair?」という、外科医の帽子の種類と腹壁手術30日後の手術部位感染等の手術部位イベントの発生リスクを調べる研究がありました。帽子はふわふわのキャップだったり後ろで結ぶタイプだったりするのですが、結果は帽子の種類と感染リスクは関係ないとのことでした。当院でも数タイプの帽子を使っているので、そのまま使えることがわかりました。
「多くの方は日帰り手術で問題ありませんが、高血圧や糖尿病が不安定な方は入院をおすすめしています。また日帰り手術が不安な方は当院では入院も対応できますのでご相談ください。」
鼠径ヘルニア手術の日帰り手術は入院手術と比べて安全性はどのように違うのでしょうか?
2024年の鼠径ヘルニア診療ガイドラインではCQ11-1では重篤な基礎疾患を持つ鼠径部ヘルニア患者に対して、日帰り手術は推奨されるのか?に対して、「重篤な基礎疾患を持つ鼠径部ヘルニア患者に対し、ルーチンで日帰り手術を推奨するだけの十分な科学的根拠はない。適切な医療提供体制が整った環境で実施することが望ましい。」とされています。
重篤な基礎疾患がある方に対してのガイドラインの答えはそのとおりと感じます。では、一般的な患者さんに対しての安全性に対する答えはどのように導けばいいのでしょうか?2022年には鼠経ヘルニア手術のうち日帰り手術が占める割合が6.9%と言われています。日帰り手術が増えてきていますがまだ1割以下という現状です。また薬の試験のように、日帰り手術と入院手術をランダムに前向き研究することは難しく、結果を振り返っていくことで安全性を評価していくこととなります。しかし実際には、日帰り手術を受けたい患者さんと入院を受けたい患者さんでは背景因子も大きく異なります。また不安だから入院したいという不確実な因子もおそらく影響してきます。そのため、このような内容に対しての返答には実際に日帰り手術を行っている経験も必要となります。自身の経験からお話できることもありますし、見学や学会で日帰り手術を多くしている先生からの体験談なども参考になります。
当院での鼠径ヘルニアの日帰り手術に関して次のように取り組みを紹介しています。(リンクはこちら)
鼠径ヘルニアの日帰り手術は「ほとんどの方に対して大丈夫」ですが、痛みや術後の吐き気など予想できない因子も必ずあります。そのため、当院では日帰り/入院どちらも対応できるようにしています。日帰り手術のつもりだけど術後にやっぱり入院に変更したいということにも対応しております。痛みや吐き気は多くの場合1日たつとかなり楽になりますので、その期間を病院で過ごしていただくことで不安も軽減できると思います。
近年ではAI技術がとても発達してきています。ChatGPTにさきほどの質問をいくつかしてみました。結果は、基本的には正しい数値や結果が返ってきます。AIが世に出ているWEBサイトから必要な情報をピックアップしているため平均的な数値のデータがでてくるのだと思います。ただし、一般的なサイトには解説が平易なものが多いため、表現は少しぼやっとした印象があります。指摘するべき点がないかどうかという視点でじっくり見ると「根拠は?」という箇所もあり、専門性が高い回答はまだ難しいと実感します。
文章をしっかりと読めばやはりAIが作ったものか人が書いたものかはわかります。当院のブログは、患者さんの理解に少しでもお役に立ち、手術や検査前の不安解消になればと思いしっかりとわれわれが情報をまとめて時間をかけて書いています。
普段から知識のアップデートを行っておりますので診察時には様々な質問をしていただければと思います。
文責/医療監修 西宮敬愛会病院 低侵襲治療部門 消化器外科部長 三賀森 学